演説をしている夢、蕎麦屋と公共性の夢、キムタクのタクシーの夢
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1
吹き抜けのホールの一階で、不特定多数の人々を前に演説をしている。演説の内容は思い出せないが、話としては「変化を恐れてはいけない」という趣旨だったことは覚えている。まったく自分が関心のない空疎な言葉を話している感覚があり、喋れば喋るほど空しい気持ちが膨らんでいく。
さっきとは打って変わり、野外コンサートが行われる会場にて、ホールと同じように会場に集まっている不特定多数の人々に対して「ステージは一箇所で充分だ」ということを訴えている。ただしさっきのホールとは異なり、この演説内容には自分の本音が混じっている感覚がある。
2
通っていた小学校の校門をくぐると、左側に細長い蕎麦屋がある。かなり昔から学校内にある蕎麦屋で、まだ続いているんだなとしみじみ思う。自分もこの蕎麦屋でアルバイトをしていたこともあった。
小学校の駐車場の一角に、公用車専用のエリアがあり、その場所が蕎麦屋の従業員の駐車場として使われている。改めて考えると、はたして蕎麦屋に公共性があるのかという疑問が湧いてくる。
蕎麦屋の運営主体が学校ならばそうなっているのもわからなくもない(蕎麦屋の運営が「公務」かどうかの問題になる)が、蕎麦屋の運営は有限会社だということはわかっているので、どういう理由で公用車と同等に扱われているのだろうか。
蕎麦屋の店内を歩き周り、客に蕎麦屋について話を聞いていると、法律関係に詳しいという女性客に出会った。
女性の指摘により、車の本当の所有者が誰なのかをちゃんと確認したことがなかったことに気付かされた。公用車の問題はあくまで車の所有者が誰かによる、ということだ。
昔、蕎麦屋のアルバイトをしていたときに車検証を見るチャンスはあったのに、と少し後悔した。
3
タクシーの後部座席に女性と乗っている。外は暗く、繁華街のような明かりはない。
郊外のホテルに向かっている道中だ。この先のホテルに入って行く道は一方通行の細い道でわかりにくいので気を付けてほしい、と運転手に告げる。
「ええ、承知しています」と答えたその運転手はショートヘアのキムタクだった。
そういえば、ロン毛といえばキムタク、というのは令和の時代にはもう通じないかもしれないな、と思った。
起床。
今日はわけあって、朝は一人で静かに起きた。夢の記憶に関して、寝起きのコンディションというのはやはり重要な因子だと思う。
ちなみに小学校の敷地内に蕎麦屋はなかったし、蕎麦屋でアルバイトをしたこともない。
最近はWeb browserに翻訳機能がついていたりするので、この日記を英語に翻訳したのを気まぐれで読んでみたりすることもある。
誤訳としてよくあるのが、知らないうちに「your」などが挿入されているパターンだ。元の文を読んでみると確かに「誰の」が明示されていないときがあり、確かにそう読む人もいるかもしれない、とある種の気付きを得ることもある。かといってそれらをすべて丁寧に記述したとすると、日本語としては(自分にとって)相当違和感のある文章になってしまう。その辺りの読みやすさと正確性の上手いバランスを取れるに越したことはない。いや、少々くどいくらいの、正確性に全振りしたのも面白いのかもしれない。
今の時代、あえて機械翻訳で誤訳されにくい文章を書く、というのが一定の分野(例えば観光関連とかだろうか)には求められる気もする。