退廃的なムードの夢

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建物の中の薄暗い部屋で、うつむいたまま顔を上げない老人が数名いる。建物の壁はかなり汚れたりむき出しのコンクリートが剥がれたりしていて、管理されないまま相当の年数が経っているという印象だ。

外から差し込む陽の光はなく、時間帯はわからない。全般的に退廃的なムードに覆われている。

廃虚になった半地下のデパートを利用して、生活に困窮している人々をサポートするビジネスをやっている組織の見学に来ているところだ。こういったビジネスにはどちらかというと興味より嫌悪感のほうが強いので、わざわざ見学に来ているというのは、恐いもの見たさが理由なのかもしれない。

建物内を移動して別の部屋に向かってみる。学校の理科室のような部屋は、何かのコミュニティのたまり場になっているようだった。近くの席に座っていた女性は、何か馬の形をしたおもちゃを作っている。銅線を巻いてコイル状にしたもので骨格を作っていくような手法のようだ。

ただ、この集まりが手芸サークルというわけでもはなく、暇を持てあましている人たちがただ集まっているような雰囲気で、それぞれが各自好きなことをやっているようだ。気怠い空気が蔓延している中で、彼女の工作が一つの希望のように思えた。


起床。

どんよりとした重苦しいムードの夢だった。台風が来ていたり、地震があったりということの影響は少なからずあるのだろう。

寝起きに見た夢の内容を情報カード(3×5インチサイズの無地の紙)にメモしておいて、それを昼または夜あたりに文章にまとめる、というのがここ最近のルーティンになっている。

考えてみると不思議なのは、カードに書いたメモを見返す必要が少ないことだ。おそらく走り書きでもなんでも、いったん書くことが大事なんだと思う。走り書きのメモが自分でも読めないときもあるから、必ずそうなるわけではないけれど、カードに書かなかったら間違いなく忘れている。


小学生が新しい漢字を覚えるときに、たくさん書いて練習するけれど、それと似たようなシステムなのだろうか。漢字と違って夢は一回性が強いので、まったく同じではないけれど、やはり一度咀嚼するというプロセスが重要だと思われる。