近所に学校が新しくできた夢

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近所に新しく学校ができたということを、自治体の広報で知る。近所にある公園と保育園の中間地点に新規に建設されたらしい。校舎の大きさにもよるけれど、ある程度の規模であれば気付くはずなのに、と思う。小中学校の統廃合の話はよく耳にするので、新しい校舎をつくる流れがとても意外に感じた。

しかし、やっぱりどう考えてみても、近所の公園や保育園のあたりに学校を建てるスペースなどないはずなので、すごく気になってくる。

一度見にいってみるしかないかと思い、外へ向かう。


起床。


以前に自分が作った『山椒郷』という曲が、西日本あたりの某所で演奏されたという話を聞いた。なんかやっぱり作者として何かコメントするべきなのかもしれない、みたいな気持ちもあり、ここに書いてみる(演奏者ご本人が読むのかどうかはひとまず別として)。

機会があったら演奏をしたいという話は事前にご本人から伺っており、そのことに快諾もしていたので、ついにその日が来たかという感じはあった。その場にいたわけではないので、実際の演奏がどんな感じだったのかはわからないけれど、率直にいって不思議な感じがする。

記憶が確かであれば、西日本の駅にあるストリートピアノで(今回とは別の方によって)演奏されたのがおそらくは初演だったはずだ。そのときは作ってからあまり時間が経ってなかったので、どっちかというと恥ずかしさみたいなものを強く感じてしまっていた気がする。あと、どういうリアクションをしたらいいのか、という迷いもあった。即時的な反応を求められるような環境だと、沈黙がNOの意思表示にみたいに捉えられてしまうのも嫌だし、積極的過ぎるYESもなんか逆に気遣いすぎているような感じもあったり。

今思えば、これは音楽云々ではなくてコミュニケーションのあり方の話なのかもしれない。ただ素直にありがとうございます、でいいんだろうなとも思うんだけど。


昔、『大地賛頌』という曲を、とあるJAZZのグループがカバーしてCDを出したら、作曲者本人がクレームをつけて販売中止になったという騒動があった。確かに作曲者本人にそう主張する権利があるのはしかるべきなんだけど、禁止までするのはどうなんだろうか、と思ったりした。

まあこれは各人の音楽観にもよることなので、絶対にこうだというのはないものの、少なくとも自分としては『音楽はある程度変容するしなやかさがあるもの』と考えている、ように思う。

その線引きが単純に決まっているわけじゃないから難しいのだけど、「どこまでいけばその曲がその曲じゃなくなるのか」という問題も込みで音楽なんじゃないか、と考えている節が、自分にはある。単独の曲がぽつんとあるわけじゃなく、どこか「あの曲っぽさ」みたいなフレーバーを別の曲に感じたりするというのはあるわけで、根源的なところでは誰が作ったとか本当はあんまり関係なく、そういう音楽のつくられたネットワークの根っこにあるものが大事なんじゃないか、みたいなことを思ったりもする。だから、たとえ自分のつくったものだとしても、「アレンジや演奏が一定の範囲でなければいけない」というのは全然なくて、好きにやってくれていいんですよ、ということなのです。的を得ていない例えかもしれないけど、個別の本が好きというよりは図書館が好き、みたいなことなのかもしれない。本当に「好き」なのかどうかもちょっとわからないけど。

演者は琴を嗜んでいる方なので、楽器だけのインストゥルメントだと思っていたけど、歌も歌ったというのは驚きだった。ちなみに作曲者本人は歌ったことはない(心の中では歌ってます)。


そういえば話の流れとまったく関係ないが、creatorというほど本当に何かをcreateしている人というのはそんなにいないと思っていて、その点において、作曲者のことをcomposerと呼ぶのは節度があってすごく適切だなと思っている。


最後に、作った当時のことなどを振り返ってみる。勢いで書いているので、音楽的な記述として正しいかどうかはあんまり確認してません。

基本となったアイデアは「歌のはじまりの部分のベースラインを度数表記で書くとIII→IVとなっていて、ここが3,4(さんし(ょう))となるから」という一種のダジャレみたいなものだった。このベース音に6の和音(第一転回形)をつけると、「三」度の音がルートになった和音になる。それに加えて四分の三拍子とすれば、譜面に3/4と表記されたりするので、三拍子に。といった感じで、数字によるこじつけをざっくりと決めて、後は流れでというのが実際のところだったような気がする。今思うとニ長調にすれば、調号にある3つの♯を升目とみなして、3升(しょう)としたかなと思わなくもないが、そうしたら(使っていた音源の)音域の具合が悪くなる気もする。

ニ長調あるいは同じことだけどD major scaleで、D on F# → Em on G → F#m on Aという進行はシンプルなダイアトニックな和音の流れなんだけど、どこか郷愁を誘う感じがあり、当時の好みだったんだろうな、と思う。Em on A も使っていた気がする。あれはG on Aともちょっと違うし、Gm on Aまでは濁らないというかなんというか。個人的にはそういうのをぼんやりと「オリエンタルな響き」という認識でいたりするけど、その表現が万人に適切かどうかは自信がない。たぶんいわゆる分数コードの一種として、単純なmajor, minorという感じでなく、そのグラデーションというのが適切かもしれない。

三和音を音の積み重ねのインターバルで考えると、普通のメジャーコードはルート音の上に長3度、短3度を積み重ねているけど、その第一転回形はルート音の上に短3度、4度を積み重ねた和音になる。マイナーコードはルート音の上に短3度、長3度を積み重ねた和音なので、メジャーコードの第一転回形はどっちかというとマイナーコードに類似している、とも考えられる。その逆も同様に、マイナーコードの第一転回形はどっちかというとメジャーコード寄りと考えられる、というようなことを当時は思ったりしていた気がする。まあ、そんなの考え方次第ではあるのだけれど。

そんな流れの響きから紡がれたメロディと、メロディが導く響きが掛け合って、ワンフレーズできたという感じだった気がする。歌詞が先かメロディが先か、みたいなことでいうと響きが先で、歌詞が先かメロディが先かといえばメロディが先だった。

歌詞は情景や風習だけの、人の心の内面描写のない、静物画のような感じがいいなと漠然とイメージがあった気がする。メロディにもっと嵌まるいい言葉があるのかもしれない、とは今も思うけれど。