潮時

love-neniye

今日も夢は思い出せず、というか見ていないという感覚。二日連続で思い出せなかったり見なかったのは久々な気がする。やはり3Dプリンタの影響なのか。何かに夢中になっていると夢を見なくなるというのはさもありそうな気もしてくるが、単に寝不足説が濃厚だ。そういう意味では3Dプリンタの影響というのも間違いではないのだけれど。


定期的に読んでいる他人のブログ(日記)で「最近毎日書くのがしんどくなってきた。そろそろ潮時なのかもしれない」という旨の記述があった。

最近、干潟でサバイバルをするアニメを観ていたこともあり、この「潮時」という言葉の使い方が気になった。たぶん本来は干潮と満潮を意味するのが「潮時」なんだけど、前述の使い方みたいに、どっちかといえば何かものごとを終わらせるときに使われることが多いような感覚がある。

だからたとえば「クリスマスのこの時期、3Dプリンタを買うのが潮時かもしれない」という文があったら、ちょっと変な感じがするので、こういう使い方は少なくとも自分ではしないと思う。

本来ニュートラルな表現がネガティブ寄りに、もしくはポジティブ寄りになってしまうのは誰が決めるわけでもないと思うけど、その漢字や慣用句的な表現が示す情景で決まるんじゃないかなとなんとなく思う。他の例でいうと「奇特」とかがそんな感じの漢字。

海というと楽しいイメージも多いけど、トータルでいうと哀愁のほうが強い感じがする。漁師だったらまた別かもしれないけど。